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あ……どうも
ごめんなさい。
ついうたた寝を……
いえ、いいんです。
さぞお疲れでしょう、
長旅でしたから。
間もなく研究所に
到着しますよ。
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1937年9月9日
私はとある田舎町にある施設で
研究員としての職を得た。
大学で行っていた研究が
評価されたおかげだった。
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町の中心からは少し
離れているんですね。
一応秘密の施設ですので、
人目に付かない場所に……
あ、でもご安心下さい。
あなたの住居は
中心にある優先区域に
用意されますので。
そうですか。
看板は置かれていなかったが、
その場所はこう呼ばれていた。
「先進軍事技術研究所」
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猫だ。
白衣を着てる……
この猫も研究員
なのかしら?
早速ですが、
この建物をご案内
させて頂きますわ。
ここには様々な分野の
先駆者達が集まり、
それぞれが専門的な研究を
行っています。
あの、猫さんは……
何をされてる方
なんですか?
申し遅れました。
私はヨハンナ・ボーグン
と申します。
ここで
光学機器の開発を
しております。
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あなたの研究室は
こっちの廊下を……
あ、いたいた!
おーい、ヨハンナ。
ちょっと
ねじ回しセット
貸してくんねぇか。
今度は
ウサギ!?
お、もしかして
新入りかぁ?
紹介するわ。
このオッサンは
オットー。
へへっ。
専門は機械工学だ。
よろしくな。
どうも…
あ、
ちょ……
仕事どころじゃねぇ。
みんなにも知らせて
やらなくちゃ!
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おーい、グロウ。
いるんだろ。
あの子はグロウ君。
宗教学者よ。
な、何ですか突然。
僕は今忙し……
ほら!
出てきてちゃんと
挨拶しな。
フニャー!
ちょっと人見知りで
引き篭もりだけど
仲良くしてあげてね。
なんだか
賑やかですネ?
人間!
オーッ!
美しいお嬢さん
デスネー!
やぁ、今日から
来た人だね。
お会いできて光栄デース。
イターリアから来ました
ジョバンニデース。
………。
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ここでは空気力学、
研究してマース。隣の
カレは物理学者で……
僕の名前は
アンストです。
よろしくね。
他にも何人か居るが
今んとこ来てるのは
これだけかな。
みんな朝寝坊
なんデース。
一体何なのかしら。
猫やウサギが
同僚だなんて……
まさか私は左遷され
たのでは……いや、
そんなはずは……
あ、もう一人
残ってたか。
また徹夜で仕事?
身体に悪いわよ。
おや、これは
何の集まりだい?
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は…………
初めまして……。
…………。
それで、
お嬢さんの事は
何と呼べば?
えっ。
あっ……ああ。
そうそう肝心な事を
聞いてなかった。
あんたは一体
何者なんだ?
は、はい。
私は……
私の名前は
エミリエ・
ファウンフィーダ。
化学者です。
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私は人工宝石の
研究をしています。
私の化学者としての目標……
それは人工ダイヤモンドの
製造法を発見することです。
人工エメラルド、
人工サファイア、
そして人工ルビー……
近代以降、様々な
宝石の人工的合成が
成功していますが……
ダイヤモンドの合成だけは
いまだに成功例がありません。
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工業用のダイヤモンドは
戦車など最先端の兵器製造に
必要不可欠になりました。
今やダイヤモンドは単なる
装飾品ではなく、国力に直結
する重要な工業資源なんです。
そう言えば
聞いた事がある。
自然から産出されるダイヤの
採掘権は連合王国系の企業が
殆どを独占していると……
今後、連合王国との関係が悪化し
工業用ダイヤの供給を絶たれれば、
我が国は大打撃を受けるわね。
国内でダイヤを自給自足
出来れば、外国の顔色を
伺う必要は無くなる……
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なるほど、それは
大変重要な任務だね。
あなたがこの研究所に
送り込まれた理由が分かった。
“現代の錬金術士”に
政府も期待を寄せて
いるんだね。
錬金術士、ですか……
あはは……。
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いやぁ、ここは本当に
いい所ざますよ!
商店街も近いですし。
ご近所も良い方
ばかりで治安も
申し分ないざます。
そ、そう
ですか。
確かにこの辺りは
景観が整ってるわ。
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テロポダ博士、
この沢山の機械は
一体何ですか?
僕の発明品さ。
電気式汎用計算機械……
その試作機。
計算……
機械?
「コンピュータ」さ。
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僕は元々航空技師の
出身でね。
そこで面倒な構造計算を
機械で自動化
する事を思いついた。
だが、航空に限らず建築や
軍事など、あらゆる分野で
計算機械は役に立つはず。
この機械が完成すれば、
世界中の科学者が……
いや、世界中の人々が
その恩恵にあやかれる。
コンピュータは
世界を変える発明に
なるはずなんだ!
ああ、素敵……
なんて情熱的な
方なのかしら……
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全くダメだわ。
まるで出力が足りない。
失敗、なんですか?
あの板を全焼させるか、
穴を空けるぐらいは
して欲しいんだけど……
おっかねぇだろ?
この女の考える
ことはよ。
光学兵器って
やつだよ。
強烈な光線を当てて
相手を焼き殺すのさ。
情けないわ。今の技術じゃ
せいぜい表面をちょっと
焦がすのが限度ね。
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つまり大空に
絵が描けるって事かい?
え?
は?
空中を飛び交う光線で
点を打てるなら、空にも
絵が描けそうじゃないか。
そりゃ無理だぜ。
これは板みたいな平面の
物体があって初めて……
照射した光線が
熱となって
焦げ目になるの。
出力増幅の方法だけど、
やはり発振器の媒体の
成分に問題が……
うーむ、そうすると
光が当たると焦げる
空気を発見すれば……
まだ言ってる……
気がつけば、私が
この研究所で働き始めて
一ヶ月程が経過していた。
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ここの研究員達は皆とても
仲が良く、他のグループの
作業を手伝ったり……
お互いの専門を活かして
足りない知識を補い合う
ような事もあるのだった。
この現代社会において
このような環境は
稀有と言えるだろう。
様々な種族や異なる民族が
一つ屋根の下で働き、
対等の仲間として助け合うのである。
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ここに来る前は想像も
しませんでした。
まさか政府の施設で、
動物の方と一緒に
仕事をするなんて……
ああ、そりゃ
そうだろうな。
確かにこの施設の内実は
ある意味常識はずれだし、
政府の方針とも矛盾するが……
水面下では役に立ちそうな
科学者を貴賎を問わず集め、
研究の場を与えている。
科学の世界に
種族や民族の違いは
関係ない……
そんな事は
今の政府だって
分かっているのさ。
そ、そう
ですね……。
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11月5日
ヨハンナの研究室を
訪れようとした時の
ことだった。
あー! もう、書類が
ぐちゃぐちゃじゃない。
ああっと、
ごめんよ。
この声はヨハンナと
……アルベルト?
お……
もー、本当に
ドジなんだから。
悪い、悪い。
今拾うから……
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それはほんの一瞬だったが、
見てはいけないものを
見てしまったような気がして、
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頭が混乱して………
思わずその場を
立ち去ってしまった。
今まで見たことが無かった。
二人のあんな表情は……。
あの二人は
もしかして……
そういう関係に
あるのだろうか?
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反自然的性愛行為……
私もそれが何であるか
知らないわけではない。
彼らは立派な犯罪者だ。
もし事実が発覚すれば
収容所送りになるだろう。
この街での生活には
もう慣れましたか?
ファウンフィーダさん。
え、ええ。
まぁ……。
ダイヤモンド合成の
目標は達成出来そう
ですか?
そ、それはまだ
なんとも……
ああ、いえ、
構わないんです。
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最先端の発明には
時間が掛かるという事は
理解しています。
ただ……
ファウンフィーダさんの
研究に対する
上層部の期待は大きい。
何かちょっとしたものでも
途中経過を見せてあげられ
ればいいんですが……。
途中経過……
ですか。
あ、あの……少佐。
はい?
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今ここでヨハンナの事を
この軍人に密告したら
どうなるだろうか……
……い、いえ。
気をつけて
お帰り下さい。
ハッ。
一瞬そう思ったが、
それは出来なかった。
そんな事をして
収容所送りになるのは
あの猫だけではない。
アルベルトを道連れに
する結果になるのは
目に見えている。
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翌年 4月23日
が、ガラスの中に
ピラミッドの形が
浮かんで見えるぞ。
摩訶不思議
な……。
半透明で……
お化けのような
質感をしている。
い、一体
どうやって中に
入れたのかね?
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中に入れたのでは
ありません。
最新の制御装置と
開発中の光学兵器を
組み合わせ……
クリスタル素材を加熱、
変色させることで超高密度な
三次元図形を描画したのです。
しかしねぇ、君。
これが一体何の
役に立つのかね。
そうだ、我々陸軍が
あの連中に多額の予算を
与えているのは……
新兵器開発のためだ。
こんなガラス細工を
作らせるためではない。
いえいえ、この作品は
あくまで軍事技術の
応用で作られています。
これはいわば
デモンストレーション
……。
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我々ドイツ民族の先進性……
これはその片鱗を表す
最先端科学の結晶です。
これを見た他国の科学者は
恐れおののき、国威発揚の
宣伝材料にもなる。
この作品の存在を通じ、
我々は国内外に証明する
ことになるでしょう。
ドイツの科学こそが
世界一ィイイイ!!
であることをね。
……とまぁ、
そんな感じで。
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多少強引ではありましたが、
私なりに研究所の仕事ぶりを
上に伝えておきました。
ど、どうも……
ありがとうございます。
お礼を申し上げる
のはこちらですよ。
あなたがあのキューブを
用意してくれたおかげで
良いプレゼンが出来た。
あ、いいえ……
私はあの件に
ついては何も……
あの光学兵器はボーグン博士が、
それを動かす制御装置は
テロポダ博士が開発した物です。
それに、
元々のアイディアは
他のみんなが……
またまた、お嬢さん。
ご謙遜を!
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彼らの荒唐無稽な空想を
現実に出来たのは……
あなたが人工クリスタルと
いうキャンバスを提供して
あげたからこそでしょう。
…………。
ところで、実は
あなたに依頼が
あるのです。
え、依頼?
あのキューブのような
作品をもっと沢山
作っていただきたい。
あれが宣伝材料になる
と言ったのはあながち
嘘ではないんです。
技術を改良していき、
更に高度で凄い作品を
作っていって下さい。
やがて皆が驚くような
大傑作が完成すれば、
その時は……
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それを総統閣下に
献上いたします。
で、でも
待って下さい。
それは……
大丈夫、ああ見えて
閣下は美術品収集に
ご熱心でしてね。
あなたは我が
開発局の宣伝塔です。
責任重大ですよ。
は……は、
はは……。
なんだかおかしな事に
なってしまったな。
ええ、でも有り難いわ。
このプロジェクトの
予算と時間で……
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君は光学兵器の、
僕は計算機械の改良が
思う存分出来る。
そして何より、一緒に
仕事をする大義名分が
出来たのが嬉しいわ。
ああ、
そうだな。
エミリエ君に
感謝しなければ。
うふふ。
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ヨハンナ達が自らの発明品の
改良に勤しんでいる一方……
私の本業である
人工ダイヤモンド開発は
一向に進まなかった。
なんでよ!
なんで出来ないの!
エミリエさん、
落ち着いて下さい!
この出来損ないの
ポンコツ機械!
エミリエさん、
危ないです!
火傷しますよ!
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10月9日
アメリカのアニメ?
へへ。軍の押収品倉庫から
映画のフィルムを一揃い
かっぱらってきたのさ。
ですって。
みんなで一緒に
観ましょうよ。
いや、悪いが僕は
英語が苦手で……。
楽しめそうにない。
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ところがどっこい、
なんとこいつは
ドイツ語吹替版さ。
え?でもその映画
密輸品なんじゃ?
いや、これは今年の春
ウィーンで上映される
予定だったやつだよ。
合邦後は上映禁止に
なって地元警察に押収
されたはずだが……
そのフィルムがなぜか
ベルリンの陸軍基地に
あったんだ。
なるほど、
そういう事なら……
いいのかしら……
盗んだ映画を皆で
鑑賞するなんて……
童話?ふぅん、
子供向けの映画ね。
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孔雀だ……。
11月8日
昨日、フランスのドイツ大使館で
外交官が撃たれたらしい。
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11月10日
アンストが怪我をしていた。
昨日の例の騒ぎで
暴徒に襲われたそうだ。
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僕はこの国を出るよ。
こんなのはもう沢山だ。
アメリカにでも行って
仕事を探すよ。向こうには
先生も居るはずだから。
そうか……
みんな、
すまないが……
ああ、分かってる。
少佐には言わない。
……助かる。
11月11日
アンストのデスクは
空になっていた。
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計算機械による制御技術はますます進歩し、
当初に比べ遥かに複雑な意匠が描ける
ようになっていた。
そして、いよいよこれまでの技術の
集大成となる作品の製作が始まった。
描き込む意匠は我が国の
象徴でもある鷲に決まり……
素材も単なるクリスタルではなく
球形の大型人工ルビーを
使う事になった。
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53
12月20日
この日、アルベルトは
ベルリンに出掛けていて
研究所には来ていなかった。
フンフン、
フンフーン♪
オットー、
うるさい。
残った私たちは
機械が吐き出す大量のデータを
整理する作業に追われていた。
なぁ、ヨハンナ。
用事があるなら先に
帰ってもいいんだぞ。
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54
え、でも……
いいっていいって。
今日の分は
俺たちが……
そうかしら……
それなら……
きっと彼が街に戻ってくる
のに合わせて二人だけで
会うつもりなんだわ。
まあ、困ります!
みんな自分の仕事で
手一杯のはずですよ。
大体、皆が残業してるのに
一人だけ帰ろうとするなんて
おかしいんじゃないですか?
え、こんな時間に
ご用事ですか?
一体誰と……
い、いえ、何でも
ないの。どこにも
行かないわ。
言えるわけがない。
犯罪者め、ざまぁ見ろ。
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64
あの日以来、アルベルトは
人が変わったように
計算機械を動かし続けている。
めっきり口数の減った彼に代わって
真っ黒なフィルムの山だけが
ただひたすら積み上げられていった。
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66
3月30日
長かった座標計算はようやく
完了し、アドラーのオーブは
出力工程に入った。
彼女の遺した光学兵器は
フィルム上に転写された
制御コードに従って
動き続け……
ルビー玉の内部へ
一つ一つ正確に
光点を刻んでいった。
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68
あの……
テロポダ博士。
何でしょうか、
私に用って……
ああ、君か。
そう、大事な話だ。
他のみんなにはもう
話したんだが……
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69
研究所を……
爆破する!?
そうだ。
三日後の夜……
この施設にある全ては
跡形も無く消えるだろう。
そして僕はこの国を
脱出するつもりだ。
ちょ……
ちょっと待って
下さい!
ここには私たち全員が
人生を掛けた研究が
沢山あるんですよ。
それをどういう
了見で……
覚えてるかい、
以前、僕が君に
言った事……
あれは、
間違いだった。
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70
……!?
僕たちは夢を
見させられていた
だけだったんだ。
外に出て……
現実を見なければ。
思うに、僕たちは
仕える相手を間違えていた。
研究成果だろうが何だろうが
彼らには一つとして残すべき
ではないだろう。
…………。
しかし、君にも
選ぶ権利はある。
……え?
もし君がここで
研究を続けたいの
なら……
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別に恨みはしない。
今の話を少佐に報告したまえ。
僕は反逆者として処刑され……
そして君の日常は
何も変わらずに
続いていくだろう。
そっ……
三日ある。
考えて決めてくれ。
博士……
彼は最後まで
まともに目を合わせよう
とはしなかった。
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あの夜……
突如凄まじい轟音が
鳴り響くのを聞いた。
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真っ赤に輝く
街外れの空を見て、
私は知った。
研究所の仲間は誰も
彼を売らなかったのだ
という事を。
アルベルト……
これで良かったの?
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74
1939年4月4日
かくして、私が一年半を過ごした
研究所は歴史の闇へと消え……
私もまた、自分の生まれ育った
この国を後にしたのだった。
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私はアメリカで民間企業の
研究施設に就職……
人工ダイヤモンドの研究を
再開する。
ジョン、そして
エミリー・アンダーダウン
夫妻です。
そこで研究仲間の一人
だった男性と結婚……
アメリカ市民となる。
1947年、私は出産を機に研究職を引退。
1954年、夫らの研究チームは遂に
人工ダイヤモンドを完成させたのだった。
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1954年6月7日 ──
イングランド・マンチェスター
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私の……夫が偶然
あなたが書いた論文を
見つけたんです。
それであなたが
イングランドにいる
ことが分かって……
夫……
そうか、君
結婚したんだ。
知らなかったよ、
おめでとう。
…………。
それで……博士の大学に
問い合わせたら……その、
博士はご病気だと……
ああ、まぁそんな
ようなものだ。
遠からず僕はこの世を
去る事になるだろう。
そんなに……
悪いんですか。
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私てっきり、博士はスイス
あたりにでも行かれたのか
と思ってました。
英語が苦手だと
仰っていたあなたが今は
イングランド人ですか。
もちろん
だとも。
僕が国を出たのは
逃げるためじゃない。
……戦うため
だからね。
戦うため……
ですか?
チャンスは
すぐに訪れたよ。
丁度あの後、
対ドイツ戦争が
始まったからね。
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しかしドイツ帝国の国力、
技術力は圧倒的で……
戦況は明らかに劣勢だった。
僕たちに課せられた任務は
ドイツ軍の無線通信を傍受し、
敵の動きを掌握する事。
当時、ドイツ軍の通信は
全て暗号化されていて
解読は不可能だったんだ。
だが、暗号理論こそ
僕の得意分野だ。
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コンピュータ技術を
応用して暗号解読機を
作ってやったのさ。
一旦、解読機が完成した後は
敵の情報は何もかも筒抜けさ。
やがて戦況は好転していった。
ドイツ帝国は最期まで
僕の手のひらの上で
踊り続けたんだ。
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ああ、あの頃は
楽しかったなぁ!
その話を聞いて
戦慄したのを覚えている。
もしかして、あの時あの国は
最も敵にしてはいけない人物を
敵に回したのではないか……
その後も私たちは
積もる話に花を咲かせた。
昔の仕事の事……
グロウやアンスト……
かつての仲間の事……
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しかし、ヨハンナの事を
口にする事はどうしても
できなかった……。
博士、それじゃ
また……
ああ、
元気でな。
………さあて。
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警察だ!
ここを開けなさい!
エミリー・
アンダーダウン
さんですね。
え?な、何?
これは……
しらばっくれるな、
あんたには逮捕状が
出てるんだ。
その日の夜だった。
ホテルに突然、大勢の
警察官が押し掛け……
何がなんだか
わからないまま私は
連行されてしまった。
ちょっと、
一体どういう
事なのよ!
私が何をしたって
言うの!
アンダーダウンさん、
あなたには……
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アルバート・テロポダ
博士を殺害した疑いが
かかっています。
おとなしく
ご同行ください。
テロポダ博士が……
亡くなった……?
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自己紹介が
まだでしたね。
俺の名前はハワード・
ザッハトルテと言います。
外務省の者です。
…………。
テロポダ先生は
友人……いや、
戦友でした。
一緒に仕事を
したんですよ。
大戦中にね……
刑事さん達によれば
博士は毒殺されたと……
でも私は誓って何も……
ああ。あんたは
無実ですよ。
ついさっき自宅で
遺書が発見され、
自殺と断定された。
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あああ……
やっぱり……
気付いてたんだわ。
何もかも……
何がです?
ザッハトルテ君。
私……昔、人を殺した
ことがあるの。
テロポダ博士の
恋人を殺したのは
この私。
あんな事になるはずじゃ
なかった……ちょっとした
意地悪のつもりで……
あの二人、
隠れてコソコソ
会っていたから……
ある晩、彼女が
彼の所に行くのを
邪魔した……
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それで彼女、
きっと近道を
したのね……
遺体には
暴行された跡が
あったらしいわ。
………………。
………先生なら、それは
別にあんたのせいじゃない
って言っただろうよ。
あんたは
犯罪者じゃない。
違法な事は
何一つとして
してないんだ。
悪いのはあくまで
彼女に直接危害を
加えた奴だろう。
………はっ!
あっはっはっ。
そうよ、君の言う通り。
97ページ目
97
私は悪い事なんか
何もしてないわ!
全部社会が
悪いのよ!
どの種族民族は
どこの街にいなくちゃ
いけないだとか……
法律でいちいち
決めるから間違いが
起こるの!
そもそも愛していい相手や
性別が法律で決められている
のがおかしいんだわ。
自分達の愛が非合法でなく
なれば、危険を冒してまで
こっそり会う必要ないもの!
98ページ目
98
あんな歪んだ性癖の
持ち主はどうせ強制
収容所行きだったのよ。
もっと早く
密告する事だって
出来た……
だからあの場面で
死んだところで
結局は同じ事だわ。
……でも、彼女が
本当に死んでしまって……
それで気付いたの。
歪んでいたのは
私の方。
……先生は身を挺して
恋人を守れなかった事を
ずっと悔やんでたよ。
だから隠れるのは
止めて、戦いに身を
投じる決意をした。
99ページ目
99
先生は世界を良くする
事を願っていた。
だが、自分の限界も
感じていたようだ。
国を棄て……戦争に
勝ったのに、世の中は
ちっとも良くならない。
旧態依然とした法律、
戦後再逮捕される強制
収容所の生き残り……
国が変わっても
社会が変わらないのは
それが人の本質だからよ。
人が入れ替わら
なければ社会は
変わらん、か?
100ページ目
100
きっと……先生も
人に失望したんだ。
だから俺たちの
手が届かない
所へ……
…………。
……ザッハトルテ君。
なぜ私に殺人の疑いが
掛かったのかしら。
一つは、あんたが
化学者で、薬品の
知識があるからだ。
それに……ある人物が
凶器を捏造し、
あんたが疑われるよう
仕組んだからさ。
101ページ目
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まぁ、ちょっとした
イタズラのつもり
だったんでしょうね。
後ですぐに疑いが
晴れるように遺書も
残したわけだから……
テロポダ博士……
本人がこれを?
そう……やはり、
彼が仕掛けた事
だったのね。
凶器の捏造
ですって?
……林檎だよ。
遺体のそばに
食べかけの林檎が
落ちていたんだ。
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あんたが持ってきた林檎を
予め用意しておいた毒薬に
浸して食べたらしい。
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“白雪姫と七人の子猫”
なぜわざわざ
そんな事をしたと
思う?
きっと先生はあんたを
憎んで、あんたを
困らせてやろうと……
違うわ。
あれはねぇ、
“魔法の林檎”なのよ。
はぁ?
104ページ目
104
ご存知無いの?
食べるとどんな願い事
でも叶う林檎よ。
けれど、その代償に
本人は永遠の眠りに
ついてしまう……
くだらない。
なんのお伽話だ?
あの人がそんな非科学的な
おまじないのために林檎を
使ったって言うのか。
そうじゃ
ないわ。
叶うかどうかは
残された私たちに
かかっているのよ。
どこへ行くんです。
もう私の疑いは
晴れたんでしょう。
106ページ目
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博士、良い人だった
のになぁ。なんで
死んじゃったんだろ。
これ、一体
何の機械だろ?
沢山あるけど。
さぁな……
ただのガラクタだろ。
ん……?
何だ、この金庫。
おら、さっさと運べ。
全部片付けて清掃も
するんだからな。
ういーっす。
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このへんなもようは
なあに?
これはねぇ、
ジュターリンシュリフト
と言って……
おばあちゃまが
むかーし、むかし
住んでいた……
遠い、遠い所にある
お国で使われていた
文字なのよ。
ネリー、
がいこくご
わかんない!