全8章 R-12 2011-2016 完結済

アリス・シャーロック:ルビー色の星雲

第7章 クジャクの日記

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​KAPITEL VII

​“DAS TAGEBUCH DER PFAU”

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​お嬢さん、そろそろ
目を覚まして下さい。

​ん…………。

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​あ……どうも
ごめんなさい。
ついうたた寝を……

​いえ、いいんです。
さぞお疲れでしょう、
長旅でしたから。

​間もなく研究所に
到着しますよ。

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​1937年9月9日

​私はとある田舎町にある施設で
研究員としての職を得た。

​大学で行っていた研究が
評価されたおかげだった。

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​町の中心からは少し
離れているんですね。

​一応秘密の施設ですので、
人目に付かない場所に……
あ、でもご安心下さい。

​あなたの住居は
中心にある優先区域に
用意されますので。

​そうですか。

​看板は置かれていなかったが、
その場所はこう呼ばれていた。

​「先進軍事技術研究所」

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​しかし、ここは
普通の研究施設とは
少しばかり……

​いや、かなり
変わっていた。

​本日こちらに
赴任されてきた
方ですね?

​ようこそ、当研究所へ。
お待ちしておりました。

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​猫だ。

​白衣を着てる……
この猫も研究員
なのかしら?

​早速ですが、
この建物をご案内
させて頂きますわ。

​ここには様々な分野の
先駆者達が集まり、
それぞれが専門的な研究を
行っています。

​あの、猫さんは……
何をされてる方
なんですか?

​申し遅れました。
私はヨハンナ・ボーグン
と申します。

​ここで
光学機器の開発を
しております。

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​あなたの研究室は
こっちの廊下を……

​あ、いたいた!
おーい、ヨハンナ。

​ちょっと
ねじ回しセット
貸してくんねぇか。

​今度は
ウサギ!?

​お、もしかして
新入りかぁ?

​紹介するわ。
このオッサンは
オットー。

​へへっ。
専門は機械工学だ。
よろしくな。

​どうも…

​あ、
ちょ……

​仕事どころじゃねぇ。
みんなにも知らせて
やらなくちゃ!

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​おーい、グロウ。
いるんだろ。

​あの子はグロウ君。
宗教学者よ。

​な、何ですか突然。
僕は今忙し……

​ほら!
出てきてちゃんと
挨拶しな。

​フニャー!

​ちょっと人見知りで
引き篭もりだけど
仲良くしてあげてね。

​なんだか
賑やかですネ?

​人間!

​オーッ!
美しいお嬢さん
デスネー!

​やぁ、今日から
来た人だね。

​お会いできて光栄デース。
イターリアから来ました
ジョバンニデース。

​………。

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​ここでは空気力学、
研究してマース。隣の
カレは物理学者で……

​僕の名前は
アンストです。
よろしくね。

​他にも何人か居るが
今んとこ来てるのは
これだけかな。

​みんな朝寝坊
なんデース。

​一体何なのかしら。
猫やウサギが
同僚だなんて……

​まさか私は左遷され
たのでは……いや、
そんなはずは……

​あ、もう一人
残ってたか。

​また徹夜で仕事?
身体に悪いわよ。

​おや、これは
何の集まりだい?

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​新人さんが
いらしたのよ。
今皆で……

​ああ、そう
だったのか。

​それじゃ、
僕も自己紹介しよう。

​アルベルト・テロポダ。

​数学者だ。

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​は…………

​初めまして……。

​…………。

​それで、
お嬢さんの事は
何と呼べば?

​えっ。

​あっ……ああ。
そうそう肝心な事を
聞いてなかった。

​あんたは一体
何者なんだ?

​は、はい。
私は……

​私の名前は
エミリエ・
ファウンフィーダ。

​化学者です。

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​私は人工宝石の
研究をしています。

​私の化学者としての目標……
それは人工ダイヤモンドの
製造法を発見することです。

​人工エメラルド、
人工サファイア、
そして人工ルビー……

​近代以降、様々な
宝石の人工的合成が
成功していますが……

​ダイヤモンドの合成だけは
いまだに成功例がありません。

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​工業用のダイヤモンドは
戦車など最先端の兵器製造に
必要不可欠になりました。

​今やダイヤモンドは単なる
装飾品ではなく、国力に直結
する重要な工業資源なんです。

​そう言えば
聞いた事がある。

​自然から産出されるダイヤの
採掘権は連合王国系の企業が
殆どを独占していると……

​今後、連合王国との関係が悪化し
工業用ダイヤの供給を絶たれれば、
我が国は大打撃を受けるわね。

​国内でダイヤを自給自足
出来れば、外国の顔色を
伺う必要は無くなる……

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​なるほど、それは
大変重要な任務だね。

​あなたがこの研究所に
送り込まれた理由が分かった。

​“現代の錬金術士”に
 政府も期待を寄せて
 いるんだね。

​錬金術士、ですか……
あはは……。

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​いやぁ、ここは本当に
いい所ざますよ!
商店街も近いですし。

​ご近所も良い方
ばかりで治安も
申し分ないざます。

​そ、そう
ですか。

​確かにこの辺りは
景観が整ってるわ。

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​ささ、どうぞ。
こちらざます。

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​今日は驚きの連続だった。
新しい街、新しい職場、

​新しい同僚、そして……

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​テロポダ博士、
この沢山の機械は
一体何ですか?

​僕の発明品さ。
電気式汎用計算機械……
その試作機。

​計算……
機械?

​「コンピュータ」さ。

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​僕は元々航空技師の
出身でね。

​そこで面倒な構造計算を
機械で自動化
する事を思いついた。

​だが、航空に限らず建築や
軍事など、あらゆる分野で
計算機械は役に立つはず。

​この機械が完成すれば、
世界中の科学者が……

​いや、世界中の人々が
その恩恵にあやかれる。

​コンピュータは
世界を変える発明に
なるはずなんだ!

​ああ、素敵……
なんて情熱的な
方なのかしら……

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​全くダメだわ。
まるで出力が足りない。

​失敗、なんですか?

​あの板を全焼させるか、
穴を空けるぐらいは
して欲しいんだけど……

​おっかねぇだろ?
この女の考える
ことはよ。

​光学兵器って
やつだよ。

​強烈な光線を当てて
相手を焼き殺すのさ。

​情けないわ。今の技術じゃ
せいぜい表面をちょっと
焦がすのが限度ね。

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​オットー、
何してるの?

​へへっ。
ちょっとな。

​全く、なに遊んで
るのかしら……

​どうだ、大した
もんだろ?

​板と照射位置を
少しずつずらして
絵を描いたのさ。

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​つまり大空に
絵が描けるって事かい?

​え?

​は?

​空中を飛び交う光線で
点を打てるなら、空にも
絵が描けそうじゃないか。

​そりゃ無理だぜ。
これは板みたいな平面の
物体があって初めて……

​照射した光線が
熱となって
焦げ目になるの。

​出力増幅の方法だけど、
やはり発振器の媒体の
成分に問題が……

​うーむ、そうすると
光が当たると焦げる
空気を発見すれば……

​まだ言ってる……

​気がつけば、私が
この研究所で働き始めて
一ヶ月程が経過していた。

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​ここの研究員達は皆とても
仲が良く、他のグループの
作業を手伝ったり……

​お互いの専門を活かして
足りない知識を補い合う
ような事もあるのだった。

​この現代社会において
このような環境は
稀有と言えるだろう。

​様々な種族や異なる民族が
一つ屋根の下で働き、
対等の仲間として助け合うのである。

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​ここに来る前は想像も
しませんでした。

​まさか政府の施設で、
動物の方と一緒に
仕事をするなんて……

​ああ、そりゃ
そうだろうな。

​確かにこの施設の内実は
ある意味常識はずれだし、
政府の方針とも矛盾するが……

​水面下では役に立ちそうな
科学者を貴賎を問わず集め、
研究の場を与えている。

​科学の世界に
種族や民族の違いは
関係ない……

​そんな事は
今の政府だって
分かっているのさ。

​そ、そう
ですね……。

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​11月5日

​ヨハンナの研究室を
訪れようとした時の
ことだった。

​あー! もう、書類が
ぐちゃぐちゃじゃない。

​ああっと、
ごめんよ。

​この声はヨハンナと
……アルベルト?

​お……

​もー、本当に
ドジなんだから。

​悪い、悪い。
今拾うから……

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​それはほんの一瞬だったが、
見てはいけないものを
見てしまったような気がして、

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​頭が混乱して………
思わずその場を
立ち去ってしまった。

​今まで見たことが無かった。
二人のあんな表情は……。

​あの二人は
もしかして……

​そういう関係に
あるのだろうか?

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​反自然的性愛行為……
私もそれが何であるか
知らないわけではない。

​彼らは立派な犯罪者だ。
もし事実が発覚すれば
収容所送りになるだろう。

​この街での生活には
もう慣れましたか?
ファウンフィーダさん。

​え、ええ。
まぁ……。

​ダイヤモンド合成の
目標は達成出来そう
ですか?

​そ、それはまだ
なんとも……

​ああ、いえ、
構わないんです。

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​最先端の発明には
時間が掛かるという事は
理解しています。

​ただ……
ファウンフィーダさんの
研究に対する
上層部の期待は大きい。

​何かちょっとしたものでも
途中経過を見せてあげられ
ればいいんですが……。

​途中経過……
ですか。

​あ、あの……少佐。

​はい?

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​今ここでヨハンナの事を
この軍人に密告したら
どうなるだろうか……

​……い、いえ。
気をつけて
お帰り下さい。

​ハッ。

​一瞬そう思ったが、
それは出来なかった。

​そんな事をして
収容所送りになるのは
あの猫だけではない。

​アルベルトを道連れに
する結果になるのは
目に見えている。

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​翌年 4月23日

​が、ガラスの中に
ピラミッドの形が
浮かんで見えるぞ。

​摩訶不思議
な……。

​半透明で……
お化けのような
質感をしている。

​い、一体
どうやって中に
入れたのかね?

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​中に入れたのでは
ありません。

​最新の制御装置と
開発中の光学兵器を
組み合わせ……

​クリスタル素材を加熱、
変色させることで超高密度な
三次元図形を描画したのです。

​しかしねぇ、君。
これが一体何の
役に立つのかね。

​そうだ、我々陸軍が
あの連中に多額の予算を
与えているのは……

​新兵器開発のためだ。
こんなガラス細工を
作らせるためではない。

​いえいえ、この作品は
あくまで軍事技術の
応用で作られています。

​これはいわば
デモンストレーション
……。

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​我々ドイツ民族の先進性……
これはその片鱗を表す
最先端科学の結晶です。

​これを見た他国の科学者は
恐れおののき、国威発揚の
宣伝材料にもなる。

​この作品の存在を通じ、
我々は国内外に証明する
ことになるでしょう。

​ドイツの科学こそが
世界一ィイイイ!!
であることをね。

​……とまぁ、
そんな感じで。

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​多少強引ではありましたが、
私なりに研究所の仕事ぶりを
上に伝えておきました。

​ど、どうも……
ありがとうございます。

​お礼を申し上げる
のはこちらですよ。

​あなたがあのキューブを
用意してくれたおかげで
良いプレゼンが出来た。

​あ、いいえ……
私はあの件に
ついては何も……

​あの光学兵器はボーグン博士が、
それを動かす制御装置は
テロポダ博士が開発した物です。

​それに、
元々のアイディアは
他のみんなが……

​またまた、お嬢さん。
ご謙遜を!

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​彼らの荒唐無稽な空想を
現実に出来たのは……

​あなたが人工クリスタルと
いうキャンバスを提供して
あげたからこそでしょう。

​…………。

​ところで、実は
あなたに依頼が
あるのです。

​え、依頼?

​あのキューブのような
作品をもっと沢山
作っていただきたい。

​あれが宣伝材料になる
と言ったのはあながち
嘘ではないんです。

​技術を改良していき、
更に高度で凄い作品を
作っていって下さい。

​やがて皆が驚くような
大傑作が完成すれば、
その時は……

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​それを総統閣下に
献上いたします。

​で、でも
待って下さい。
それは……

​大丈夫、ああ見えて
閣下は美術品収集に
ご熱心でしてね。

​あなたは我が
開発局の宣伝塔です。
責任重大ですよ。

​は……は、
はは……。

​なんだかおかしな事に
なってしまったな。

​ええ、でも有り難いわ。
このプロジェクトの
予算と時間で……

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​君は光学兵器の、
僕は計算機械の改良が
思う存分出来る。

​そして何より、一緒に
仕事をする大義名分が
出来たのが嬉しいわ。

​ああ、
そうだな。

​エミリエ君に
感謝しなければ。

​うふふ。

41ページ目

​ヨハンナ達が自らの発明品の
改良に勤しんでいる一方……

​私の本業である
人工ダイヤモンド開発は
一向に進まなかった。

​なんでよ!
なんで出来ないの!

​エミリエさん、
落ち着いて下さい!

​この出来損ないの
ポンコツ機械!

​エミリエさん、
危ないです!
火傷しますよ!

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​10月9日

​アメリカのアニメ?

​へへ。軍の押収品倉庫から
映画のフィルムを一揃い
かっぱらってきたのさ。

​ですって。
みんなで一緒に
観ましょうよ。

​いや、悪いが僕は
英語が苦手で……。
楽しめそうにない。

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​ところがどっこい、
なんとこいつは
ドイツ語吹替版さ。

​え?でもその映画
密輸品なんじゃ?

​いや、これは今年の春
ウィーンで上映される
予定だったやつだよ。

​合邦後は上映禁止に
なって地元警察に押収
されたはずだが……

​そのフィルムがなぜか
ベルリンの陸軍基地に
あったんだ。

​なるほど、
そういう事なら……

​いいのかしら……
盗んだ映画を皆で
鑑賞するなんて……

​童話?ふぅん、
子供向けの映画ね。

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​始まった
わね。

​凄い、映画に
色が着いてる!

​何を知りたいの
ですか、女王様。

​鏡よ、鏡……。
国中で最も美しき
女とは、誰か?

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​……でもねぇ、
やっぱり英語くらい
話せないと……

​い、いや……
今は必要ない
から……

​あら、分から
ないわよ。

​世の中いつ何が
起こるか……

​其の唇の赤きこと血潮の如し。

​髪の黒きこと烏木の如し。

​肌の白きこと雪の如し。

​……!

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​白雪姫!!

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​しかし、陛下。
姫君では
ないですか。

​黙りなさい!
これは命令であるぞ!

​あの娘の心臓を
えぐりだして
この箱に収め……

​証拠品として
持ち帰りなさい。

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​この女王、なんか
エミリエさんに
似てますね。

​は?
ど、どこがよ!?

​あ、いえ……
お顔がですが。

​顔……?
そんなに似ている
かしら……

​………!

49ページ目

​孔雀だ……。

​11月8日

​昨日、フランスのドイツ大使館で
外交官が撃たれたらしい。

50ページ目

​11月10日

​アンストが怪我をしていた。
昨日の例の騒ぎで
暴徒に襲われたそうだ。

51ページ目

​僕はこの国を出るよ。
こんなのはもう沢山だ。

​アメリカにでも行って
仕事を探すよ。向こうには
先生も居るはずだから。

​そうか……

​みんな、
すまないが……

​ああ、分かってる。
少佐には言わない。

​……助かる。

​11月11日

​アンストのデスクは
空になっていた。

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​計算機械による制御技術はますます進歩し、
当初に比べ遥かに複雑な意匠が描ける
ようになっていた。

​そして、いよいよこれまでの技術の
集大成となる作品の製作が始まった。

​描き込む意匠は我が国の
象徴でもある鷲に決まり……

​素材も単なるクリスタルではなく
球形の大型人工ルビーを
使う事になった。

53ページ目

​12月20日

​この日、アルベルトは
ベルリンに出掛けていて
研究所には来ていなかった。

​フンフン、
フンフーン♪

​オットー、
うるさい。

​残った私たちは
機械が吐き出す大量のデータを
整理する作業に追われていた。

​なぁ、ヨハンナ。
用事があるなら先に
帰ってもいいんだぞ。

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​え、でも……

​いいっていいって。
今日の分は
俺たちが……

​そうかしら……
それなら……

​きっと彼が街に戻ってくる
のに合わせて二人だけで
会うつもりなんだわ。

​まあ、困ります!
みんな自分の仕事で
手一杯のはずですよ。

​大体、皆が残業してるのに
一人だけ帰ろうとするなんて
おかしいんじゃないですか?

​え、こんな時間に
ご用事ですか?
一体誰と……

​い、いえ、何でも
ないの。どこにも
行かないわ。

​言えるわけがない。
犯罪者め、ざまぁ見ろ。

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​すっかり
遅くなって
しまった……

​もう、
汽車が着いてる
時間だわ。

​あ……

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​そうだった、この先は
人間の街だわ……

​でも、遠回りしてたら
彼を待たせてしまうし……

​……仕方ない。

57ページ目

​あら?

58ページ目

​あの子、一体
どこの子かしら……

59ページ目

​あいたた……

​猫だ!
ここに猫がいるぞ!

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​あ……
あわわ……

​ああ……

​逃げたぞ!

​誰かそれを
捕まえて!

​子供のふりを
して街に入り
込んだんだ!

61ページ目

​おっと、どこへ
行くのかな?
メス猫ちゃん。

​お前、自分が
何をしてるのか
わかってるのか?

​おい、こいつを
どうする?

​そうだな、丁度
遊び相手が
欲しかった所だ。

​俺たちでこのレディを
可愛がってやろうぜ。

62ページ目

​今朝、ヨハンナの
遺体が発見されたそうだ。

63ページ目

64ページ目

​あの日以来、アルベルトは
人が変わったように
計算機械を動かし続けている。

​めっきり口数の減った彼に代わって
真っ黒なフィルムの山だけが
ただひたすら積み上げられていった。

65ページ目

66ページ目

​3月30日

​長かった座標計算はようやく
完了し、アドラーのオーブは
出力工程に入った。

​彼女の遺した光学兵器は
フィルム上に転写された
制御コードに従って
動き続け……

​ルビー玉の内部へ
一つ一つ正確に
光点を刻んでいった。

67ページ目

68ページ目

​あの……
テロポダ博士。

​何でしょうか、
私に用って……

​ああ、君か。

​そう、大事な話だ。
他のみんなにはもう
話したんだが……

69ページ目

​研究所を……
爆破する!?

​そうだ。

​三日後の夜……
この施設にある全ては
跡形も無く消えるだろう。

​そして僕はこの国を
脱出するつもりだ。

​ちょ……
ちょっと待って
下さい!

​ここには私たち全員が
人生を掛けた研究が
沢山あるんですよ。

​それをどういう
了見で……

​覚えてるかい、
以前、僕が君に
言った事……

​あれは、
間違いだった。

70ページ目

​……!?

​僕たちは夢を
見させられていた
だけだったんだ。

​外に出て……
現実を見なければ。

​思うに、僕たちは
仕える相手を間違えていた。

​研究成果だろうが何だろうが
彼らには一つとして残すべき
ではないだろう。

​…………。

​しかし、君にも
選ぶ権利はある。

​……え?

​もし君がここで
研究を続けたいの
なら……

71ページ目

​別に恨みはしない。
今の話を少佐に報告したまえ。
僕は反逆者として処刑され……

​そして君の日常は
何も変わらずに
続いていくだろう。

​そっ……

​三日ある。
考えて決めてくれ。

​博士……

​彼は最後まで
まともに目を合わせよう
とはしなかった。

72ページ目

​あの夜……
突如凄まじい轟音が
鳴り響くのを聞いた。

73ページ目

​真っ赤に輝く
街外れの空を見て、
私は知った。

​研究所の仲間は誰も
彼を売らなかったのだ
という事を。

​アルベルト……

​これで良かったの?

74ページ目

​1939年4月4日

​かくして、私が一年半を過ごした
研究所は歴史の闇へと消え……

​私もまた、自分の生まれ育った
この国を後にしたのだった。

75ページ目

​なっ……
何者だ⁉︎

​そこの二人、
止まらないと
撃つぞ!

​ノン、ノン。
わ、私たち、
危害ありません。

​私たち、
亡命者です。

​私とグロウはその後も
西へ西へと旅を続け……

​最後には
大西洋を渡った。

76ページ目

​私はアメリカで民間企業の
研究施設に就職……

​人工ダイヤモンドの研究を
再開する。

​ジョン、そして
エミリー・アンダーダウン
夫妻です。

​そこで研究仲間の一人
だった男性と結婚……
アメリカ市民となる。

​1947年、私は出産を機に研究職を引退。
1954年、夫らの研究チームは遂に
人工ダイヤモンドを完成させたのだった。

77ページ目

​1954年6月7日 ──
イングランド・マンチェスター

78ページ目

79ページ目

​先生、あんたに
客だぞ。

​?……ああ、
通してくれ。

​どうもありがとう、
ライオンさん。

​その声は……!

​………やあ、
久しぶりだね。

80ページ目

​エミリエ君。

​わざわざ
お見舞いに来て
くれたのかい。

​え、ええ……
はい……

81ページ目

​私の……夫が偶然
あなたが書いた論文を
見つけたんです。

​それであなたが
イングランドにいる
ことが分かって……

​夫……
そうか、君
結婚したんだ。

​知らなかったよ、
おめでとう。

​…………。

​それで……博士の大学に
問い合わせたら……その、
博士はご病気だと……

​ああ、まぁそんな
ようなものだ。

​遠からず僕はこの世を
去る事になるだろう。

​そんなに……
悪いんですか。

82ページ目

​私てっきり、博士はスイス
あたりにでも行かれたのか
と思ってました。

​英語が苦手だと
仰っていたあなたが今は
イングランド人ですか。

​もちろん
だとも。

​僕が国を出たのは
逃げるためじゃない。

​……戦うため
だからね。

​戦うため……
ですか?

​チャンスは
すぐに訪れたよ。

​丁度あの後、
対ドイツ戦争が
始まったからね。

83ページ目

​しかしドイツ帝国の国力、
技術力は圧倒的で……
戦況は明らかに劣勢だった。

​僕たちに課せられた任務は
ドイツ軍の無線通信を傍受し、
敵の動きを掌握する事。

​当時、ドイツ軍の通信は
全て暗号化されていて
解読は不可能だったんだ。

​だが、暗号理論こそ
僕の得意分野だ。

84ページ目

​コンピュータ技術を
応用して暗号解読機を
作ってやったのさ。

​一旦、解読機が完成した後は
敵の情報は何もかも筒抜けさ。
やがて戦況は好転していった。

​ドイツ帝国は最期まで
僕の手のひらの上で
踊り続けたんだ。

85ページ目

​ああ、あの頃は
楽しかったなぁ!

​その話を聞いて
戦慄したのを覚えている。

​もしかして、あの時あの国は
最も敵にしてはいけない人物を
敵に回したのではないか……

​その後も私たちは
積もる話に花を咲かせた。

​昔の仕事の事……
グロウやアンスト……
かつての仲間の事……

86ページ目

​しかし、ヨハンナの事を
口にする事はどうしても
できなかった……。

​博士、それじゃ
また……

​ああ、
元気でな。

​………さあて。

87ページ目

​そろそろ行こうか。

88ページ目

​警察だ!
ここを開けなさい!

​エミリー・
アンダーダウン
さんですね。

​え?な、何?
これは……

​しらばっくれるな、
あんたには逮捕状が
出てるんだ。

​その日の夜だった。
ホテルに突然、大勢の
警察官が押し掛け……

​何がなんだか
わからないまま私は
連行されてしまった。

​ちょっと、
一体どういう
事なのよ!

​私が何をしたって
言うの!

​アンダーダウンさん、
あなたには……

89ページ目

​アルバート・テロポダ
博士を殺害した疑いが
かかっています。

​おとなしく
ご同行ください。

​テロポダ博士が……

​亡くなった……?

90ページ目

91ページ目

​……実に嫌な
気持ちになるよな。

​犯罪者扱いを
されるのは。

​あ……あなたは
確か、博士の家で
お会いした……

92ページ目

​自己紹介が
まだでしたね。

​俺の名前はハワード・
ザッハトルテと言います。
外務省の者です。

​…………。

​テロポダ先生は
友人……いや、
戦友でした。

​一緒に仕事を
したんですよ。
大戦中にね……

​刑事さん達によれば
博士は毒殺されたと……
でも私は誓って何も……

​ああ。あんたは
無実ですよ。

​ついさっき自宅で
遺書が発見され、
自殺と断定された。

93ページ目

​…………。

​先生は自ら毒物を
服用されたんです。

​……ああ、
神様。

​あんたはこれで
無罪放免だ。

​その、遺書には
どんな事が?

​理由は何だっ
たんですか?

​さぁな……
だが、こんな事が
書いてあった。

​「彼女の後を追う」……

​「今度は邪魔されずに
 済んで良かった」……と。

​どういう意味か
分かるか?

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​あああ……

​やっぱり……
気付いてたんだわ。
何もかも……

​何がです?

​ザッハトルテ君。
私……昔、人を殺した
ことがあるの。

​テロポダ博士の
恋人を殺したのは
この私。

​あんな事になるはずじゃ
なかった……ちょっとした
意地悪のつもりで……

​あの二人、
隠れてコソコソ
会っていたから……

​ある晩、彼女が
彼の所に行くのを
邪魔した……

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​それで彼女、
きっと近道を
したのね……

​遺体には
暴行された跡が
あったらしいわ。

​………………。

​………先生なら、それは
別にあんたのせいじゃない
って言っただろうよ。

​あんたは
犯罪者じゃない。

​違法な事は
何一つとして
してないんだ。

​悪いのはあくまで
彼女に直接危害を
加えた奴だろう。

​………はっ!

​あっはっはっ。
そうよ、君の言う通り。

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​私は悪い事なんか
何もしてないわ!

​全部社会が
悪いのよ!

​どの種族民族は
どこの街にいなくちゃ
いけないだとか……

​法律でいちいち
決めるから間違いが
起こるの!

​そもそも愛していい相手や
性別が法律で決められている
のがおかしいんだわ。

​自分達の愛が非合法でなく
なれば、危険を冒してまで
こっそり会う必要ないもの!

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​あんな歪んだ性癖の
持ち主はどうせ強制
収容所行きだったのよ。

​もっと早く
密告する事だって
出来た……

​だからあの場面で
死んだところで
結局は同じ事だわ。

​……でも、彼女が
本当に死んでしまって……
それで気付いたの。

​歪んでいたのは
私の方。

​……先生は身を挺して
恋人を守れなかった事を
ずっと悔やんでたよ。

​だから隠れるのは
止めて、戦いに身を
投じる決意をした。

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​先生は世界を良くする
事を願っていた。

​だが、自分の限界も
感じていたようだ。

​国を棄て……戦争に
勝ったのに、世の中は
ちっとも良くならない。

​旧態依然とした法律、
戦後再逮捕される強制
収容所の生き残り……

​国が変わっても
社会が変わらないのは
それが人の本質だからよ。

​人が入れ替わら
なければ社会は
変わらん、か?

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​きっと……先生も
人に失望したんだ。

​だから俺たちの
手が届かない
所へ……

​…………。

​……ザッハトルテ君。
なぜ私に殺人の疑いが
掛かったのかしら。

​一つは、あんたが
化学者で、薬品の
知識があるからだ。

​それに……ある人物が
凶器を捏造し、
あんたが疑われるよう
仕組んだからさ。

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​まぁ、ちょっとした
イタズラのつもり
だったんでしょうね。

​後ですぐに疑いが
晴れるように遺書も
残したわけだから……

​テロポダ博士……
本人がこれを?

​そう……やはり、
彼が仕掛けた事
だったのね。

​凶器の捏造
ですって?

​……林檎だよ。

​遺体のそばに
食べかけの林檎が
落ちていたんだ。

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​あんたが持ってきた林檎を
予め用意しておいた毒薬に
浸して食べたらしい。

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​“白雪姫と七人の子猫”

​なぜわざわざ
そんな事をしたと
思う?

​きっと先生はあんたを
憎んで、あんたを
困らせてやろうと……

​違うわ。

​あれはねぇ、
“魔法の林檎”なのよ。

​はぁ?

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​ご存知無いの?
食べるとどんな願い事
でも叶う林檎よ。

​けれど、その代償に
本人は永遠の眠りに
ついてしまう……

​くだらない。
なんのお伽話だ?

​あの人がそんな非科学的な
おまじないのために林檎を
使ったって言うのか。

​そうじゃ
ないわ。

​叶うかどうかは
残された私たちに
かかっているのよ。

​どこへ行くんです。

​もう私の疑いは
晴れたんでしょう。

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​私は私の国に
帰るわ。

​まだ遅くない、
あなたたちも……

​……彼の戦いを無駄に
しないであげて。

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​博士、良い人だった
のになぁ。なんで
死んじゃったんだろ。

​これ、一体
何の機械だろ?
沢山あるけど。

​さぁな……
ただのガラクタだろ。

​ん……?
何だ、この金庫。

​おら、さっさと運べ。
全部片付けて清掃も
するんだからな。

​ういーっす。

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​1995年9月21日

​アメリカ合衆国 ── シカゴ

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​おばあちゃま、
なにをおよみに
なっているの?

​あら、ネリー。
これはねぇ……

​……さぁ、何かしら。
当ててごらん。

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​このへんなもようは
なあに?

​これはねぇ、
ジュターリンシュリフト
と言って……

​おばあちゃまが
むかーし、むかし
住んでいた……

​遠い、遠い所にある
お国で使われていた
文字なのよ。

​ネリー、
がいこくご
わかんない!

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​外国語わかんない、か。

​これで良かったのだ。
これで……

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​TO BE CONTINUED...